またまた自己満足のブログですみません。
デパートではクリスマスソングが流れサンタクロースの飾り付けがされているこの頃ですが、時季外れのひな人形の話題です。
箱の埃をはたきながら中を見てみると、ひな人形でした。人形は和紙に丁寧にくるまれて、茶色に変色した新聞に包んでありました。
小さな道具箱も一緒です。古い物だから売れないと、放ってあった物と思います。

私より遙かに年月を重ねた人形です。丁寧に保管されていたせいでなかなか綺麗な顔立ちです。
よく見ると、頭飾りが今の物と違います。
戦後まだ貧乏時代の日本でこの人形は、1cm程度の小さな道具も一個一個木で細工して作ってあり、かなり贅沢なものであったでしょう。
木箱の表には破れて全部は読めないのですが、作者と思われる「東光齋玉翁」と名があります。
食器にしても道具にしても平素日本では、何気なく生活していましたが、フィリピンに住んで6年になる私は、海外に出てみて、つくづく日本人の感性に感心し、良い国だと思うこの頃です。
木箱の表には破れて全部は読めないのですが、作者と思われる「東光齋玉翁」と名があります。
食器にしても道具にしても平素日本では、何気なく生活していましたが、フィリピンに住んで6年になる私は、海外に出てみて、つくづく日本人の感性に感心し、良い国だと思うこの頃です。
日本だと人形供養をして処分するのでしょうが、フィリピンだと出来ませんから、当分は我が家にいてもらいましょう。
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これまた年代物で面白いですが、見過ごせなかった人形はもうずっと捨てることは出来ないでしょうね。
毎年桃の節句にお嬢様のために飾ってあげてください。
見るに見かねての持ち帰りましたが、うちでもたぶん大事にしないので、同じ事かも分かりません。
でも人形にしたらまだ日本人の家にいた方が良いと思いますよ。
僕もそうですが、確かに、日本を離れて外からみると日本の素晴らしいところが、良く見えてきます。日本人の感性でしょうか、「相手の立場になって考える。」壜のキャップにしても、使う身になって改良を重ねる。味塩のキャップも又改良されました。日頃の生活で感じるのですが、フィリピンのビニールに入った、例えば、ラーメン、チップスの中身を取り出すのに苦労しませんか、僕は何時も鋏を用意しています。
確かに日本では、先ずお客や相手の立場でものごとを考えて行動することが当たり前なのですが、フィリピンでは全くその逆ですね。
以前こんなたとえを聞いたことがあります。
2個のリンゴがあって、1つは甘くて美味しいリンゴ、もう一つは美味しくないリンゴ、人におあげるとしたらどっち?
日本人は、他人にあげるのであれば、美味しい方をあげる。と言うのが普通ですが、フィリピン人に聞くと、あげるのだから美味しくない方をあげる、と答えます。
おそらく世界中ではフィリピンと同じ答えをする人が多いいんだと思います。基本的に感性の違いなんでしょうね。
>フィリピンのビニールに入った、例えば、ラーメン、チップスの中身を取り出すのに苦労しませんか、
ははは、やっぱり同じ事を感じてられますね。
切り口がついてても切れないあのパッケージは何ともなりませんね。